物語文の「私」の気持ちについて 

(編者注:複数レスを一つにまとめましたので長文になります。)

さて、前に「筆者にとって○○とは」の説明的文章の問題のお話しをしました。
今回は、物語文でよくある「下線部にみられる『私』の気持ちを説明しなさい」という問いに関してです。

いやいや、これは問題文によって違うでしょう、というみなさんのご指摘はごもっとも。
前から言うように、しろくまの読解の色々なお話しは、あくまでも国語が苦手なお子さんの、「わら」なのです。得意な子は、今までどーりの自分のスタイルを変える必要はありません。白紙少年少女が何とか書けるようにしたい、という場合の、「とっかかり」のための示唆なのです。

物語文は主人公が『私』の場合とそうではない、客観型のものの二種類があります。
主人公『私』型は、実はレベルが高く、高校入試に多くみられるものです。物語は主人公『私』の視点と思いを中心に展開されます。

最初からタネを明かすと『私』型の中学入試問題の文章は、ほぼ、「複雑な主人公の背景」と「相反行動・二重心理」がテーマです。
☆「一見Aだが実はB」という視点
を大切にしてほしい、ということです。

前にもレスしたのですが、淡い初恋の少年の気持ち… ほんとうは好きなのにそれとは裏腹の行動をしてしまう…
これは、行動と心情の相反。
お姉さんの嫁入り… うれしいが悲しい… これは二重心理ですよね。
こういう部分の読み取りと説明はなかなか難しい。

ちょっと乱暴ですが、最初から解答の「鋳型」を用意してやって、そこに文章中の言葉を抜き出して入れる、という手法です。
もちろん、失敗してとんちんかんな解答になる場合もあるかもですが、まったく苦手な子の場合、これでビンゴ! というケースもケッコウあるのです。

また、自分でまるっきり言葉を用意しなくてはならない、甲陽や神女の一部の問いなども、まずは、この方法で訓練してから、次のステップへ、と、導けます。

これからいくつか紹介しますね。ちょい出先なので、少し時間を置いてからまた続きを書きます。しばらくお待ちください。

(続き)
さて、「下線部にみられる私の気持ちを説明しなさい」というタイプの問題の「鋳型」なのですが…
鋳型の例をあげるまえに、まずは苦手な子のための読解のポイントを再整理しておきますね。

まず、前に申しましたように、物語文の場合、「下線部に関する理由説明題」には答え方の大原則があります。
☆ 下線部が行動・事実ならば気持ちで答える
☆ 下線部が気持ちならば行動・事実で答える
なぜなぐったのか?  →はらがたったから
なぜはらがたったのか?→なぐられたから
気持ちを表す言葉、行動・事実をしっかり読み分ける、とくに気持ちを表す部分が大切だ、と、いいました。

苦手な子は、物語文の場合、保護者がいっしょに読んでやってもよいのです。しろくまも、上位クラスであっても男子が多いクラスでの講義では、物語文は、まず、しろくまが音読し、気持ちを表す言葉が出てくるたびにそれを示しながら読みました。男の子は物語文は苦手、という前提で読んで補説、という作業をしたのです。
「お刺身読解」に慣れさせるために、どれが気持ちを表す言葉か、いちいち示してやって実感させよう、というわけです。
もちろんできない子たちを呼び出して指導したときも同様でした。
でただ、『私』型は、ひとひねりが必要でしたので、最初から注意すべき「パーツ」を指示させて下線を引かせました。
それが「のだ」「のである」(「のです」)という部分です。

(前回の続き)
前にもお話しましたように「のだ」「のである」は断定ではなく、筆者の、あるいは主人公の心情告白・理由説明です。
大きな音がした。棚から本が落ちた「のだ」。
は、理由を説明していますよね。
随筆や物語文の場合は、何かの理由として心情を説明している部分でもあります。
ここは、とりあげるべき「解答」あるいは、その部分の抽象化で答えに利用できるところが含まれている可能性があります。

第一の鋳型は、心情の変化です。
「二重心理」のうち、時間軸の「気持ちのだぶり」はこれで説明できます。
A → B


は、たびたび紹介してきたものです。
最初の気持ちがA、CをきっかけにBという気持ちに変化した…
「下線部から読み取れる私の気持ち」を説明する場合、とくに「私」型の場合は、主人公「私」の気持ちの変化をそのまま書けばそれで正解となる場合があります。
筆者の気持ちが変化した。それが示されている行動や事実に線が引かれて問われる問題が多いからです。
これは「心情の読み取り」という課題の一つ、「気持ちの変化を知ろう」というテーマに即している問いだからです。
「私は親友からもらったプレゼントを床になげつけた」
という部分に下線がほどこされ、ここから読み取れる「私」の心情を説明せよ、は、実は「床になげつけた」理由を問うているものと同じです。
きっかけCは何か、それまではどう思っていた(A)か、それが投げつけるという行為にいたったのはなぜか… Bという気持ちにいたる過程を描けばそれで正解です。
「親友」を示すような気持ちを示した部分をAとして抜き出し、「なげつける」という行為を起こす感情の言葉を抜き出し、きっかけCをみつけて
「( A )であったのに( C )によって( B )という気持ちになった」
「( C )のために( A )が( B )という気持ち」
という鋳型で書くようにすればよいというわけです。

星光や洛星の物語文の記述、四天王寺の記号選択などは、すでに文中にある言葉を手かがりにして導けるので、国語が苦手な子でも、白紙答案は避けられます。

ただ、甲陽や神戸女学院の場合は、事実や行動を示している部分にこめられている気持ちを文中からではなく自分で作り出す抽象化が必要で、抽象化訓練を低学年からしておく、あるいは慣れておくとずいぶんと楽に対処できます。国語が苦手だとこの二校の、もちろんすべての問題がそうではありませんが、長い記述は少してこずります。
(次回に続く)

(前回の続き)
下線部から読み取れる「私」の気持ちの説明。下線部の部分が「行動」の場合は、すでにのべた「心情の変化」を説明すれば答えになる場合があると申しました。

もう一つは「二重の心理」、「行動とは裏腹な心情」の読み取り、というのが要求される場合です。
この鋳型の基本は
ほんとうは(  A  )なのに(  B  )なので(  C  )してしまう
というものです。
初恋の少年の行動などはたいていこれで説明できます。

この場合、気持ちの説明であっても、その気持ちの説明を補完するために行動の再説明があっても減点にはなりません。
「思いをよせていた」が「友達にひやかされた」ので、「つきとばしてしまった」などの説明です。
(  B  )なので(  C  )してしまったが(  A  )である、というように、心情の説明でしめくくるのがベターですが、苦手な子は、時系列に起こった順に配列してしまいます。でも、白紙よりは格段に進歩です。

ただ、「思いをよせていた」という部分は、抽象能力が問われる部分で、多くの女子校の物語文では、行動でしかあらわれていないので、それを自分の言葉で「思いをよせていた」とか「好きだ」とか作らなくてはならない場合もあります。

ただ、「私」型の場合は、心情の直接的な表現が書かれている場合があるので、そこをうまく抜き出すことができればなんとかなります。
その部分は前に説明した「のだ」「のである」というところの場合ももちろん多いのです。
「ほんとうはAなのにB」
という二重心理の説明になっている選択肢も、心情説明の正解のものである場合が多く、ことさら単純な気持ちは「読み取る」必要がないわけで、出題者はアントニオ猪木式問答「元気ですか?」「元気です!」みたいな問いはしませんし、解答も求めていません。
単純な悲しさ、単純な怒り、は、わざわざ問わず、書きにくい、読み取りにくい部分を問う、のが入試問題です。それを逆手にとって、そういう部分を意識的にふだんからいっしょに読みながら、苦手な子の場合は説明していく、という根気強い補助も必要です。

「講師音読・生徒黙読・途中解説」というのを塾ではしますが、低学年の場合で国語が苦手な子の場合、同様に家庭でも「保護者音読・子ども黙読・途中解説」をしてやってもよいわけです。そのときの解説すべきポイントは
「最初はAだったがCによってB」
「ほんとうはAなのにCのためにB」
という「心情変化」と「二重心理」であると考えてください。

では、下線部が「行動」ではなく、「事実」の場合はどうすればよいのかと申しますと…

(次回につづく)

(前回の続き)
下線部が行動ではなく、事実などの説明である場合の「下線部にみられる『私』の気持ち」の説明ですが…
まずは「対象類似の共鳴」です。

人は自分の気持ちを説明できない場合があります。そのとき、誰かがそれをうまく説明してくれたり、その気持ちを説明するのにふさわしいモノやコトを見たり聞いたり、まだ自分と似た境遇の人に出会ったりすると「そうそうそれ!」と「共鳴」します。
物語に限らず、映画やテレビでも、それをうまく「効果」として利用する場合があります。
塾の講師時代、「テレビなんかでも、くさ~い芝居や場面があるやろ~ あれなんかはその一つやで」と話しました。
主人公が悩んだり苦しんだりしている場面は、天気が雨やら嵐やら…
でも問題が解決すると、急に晴れて、「ほら! あんなにきれいな虹が~」
「そんなくさい場面、見たことないか? 『きれいな虹』に線が引っ張ってあって、このときの気持ちを説明せよ、みたいな問題あるわけよ」
と、解説してやりました。

物語の「場面」や状況の説明部分には、そういう心情を際だたせるための「しこみ」が散らばっていて、それを集めてくることによって主人公の「気持ち」を説明することが可能なのです。
これをモンタージュ式、と、昔は説明しました。
しろくまがよく言う、模範解答の逆流法で、「どうしてそういう答えになるか」という場合、こういう部分を見つけさせる訓練をすればよいのです。

甲陽や神戸女学院をめざす場合、国語が苦手、とくに物語文は苦手… という場合は、徹底的に「模範解答の逆流法」で、モンタージュ式を訓練させてください。早い時期からやってもらえるのがありがたいですが、小6でも、この秋に集中してやりましょう~ 手遅れでもなければもう国語は伸びない、なんて、あきらめないでください。

さて、逆流法でその模範解答が導き出せるパーツは
① 主人公の気持ちを変化させたモノやコトの説明
② 隠喩や直喩などの比喩表現のうちの「擬人法」
③ 象徴表現
の3つを手かがりに「捜査」させてください。

①は前回説明したものです。そもそも物語の基本構造は「心情の変化」ですから、①は重要な「手かがり」です。
②は、「対象類似」と関係があります。比喩のうち、わざわざ「人になぞらえて」説明している部分は、主人公や登場人物の気持ちの「代弁」でもあるのです。
☆ 場面の中の「代弁者」を見つけ出せ!
③ 象徴、と、いうと子どもらはまたまた混乱しますのでその単語そのものを教えてやる必要はありません。
A:具体 B:抽象 AでBを説明する=象徴
ということです。
さっきの「くさい場面」ならば「虹」で「苦労の後の問題解決」を説明している、というところです。

低学年の場合は「何に似ているか」という観点から話をもっていってやってもよいのです。
主人公の気持ちと似ているモノを見つける…
「効果」と心情表現はちがうよ、というお叱りを受けるのは承知です。でも、実際の入試問題は「効果」から心情を説明させる問題たくさんあります。

人は、自分の心の状況に「似たもの」に共鳴します。
悲しいときは、悲しいモノやコトが目に映る。
楽しいときは、楽しいモノやコトが目に映る。
雨にぬれた子犬がとぼとぼと歩いている、というのがなぜ「目に映る」のか? 自分と同じような「孤独」を感じているから、という説明です。
楽しいときは、きっと「とぼとぼ歩く子犬」は気にならず、雨の中でも、水たまりをバシャバシャさせて遊ぶ子どもたちが目に映る、というわけです。

まぁ、実際の生活ではそんな単純に説明するのは愚かですが、物語の場面、とくに小学生が受験する問題文の場面では、たいていはわかりやすい鋳型に流し込めます。
「雨の中、水たまりをバシャバシャさせて遊ぶ子どもたちを見ていた」
というところに線が引かれていれば
「雨の中」は主人公の何と似ているのか、「遊ぶ子どもたち」に気を引かれるのはなぜか?
他の場面行動からモンタージュしていくわけです。
「雨の中」は登場人物の悩みや苦労かもしれません、それを気にしないで戯れる子どもを見て、主人公はどう思っているのか… 対象類似ならば「自分もそうありたい」と考えているかも知れません。

『私』型だと二重心理になる場合があり、その場合は
「希望→失望」の説明(失望→期待もアリ)
持ち上げて落とす、落として持ち上げる、という表現もできます。
「自分もそうありたい、でも、できない、という気持ち」と書けば正解、かも知れないわけです。
白鳥は 哀しからずや 空の青 海の青にも染まずただよふ

作者は、なぜ「白鳥」が目に映ったか? 「染まずただよふ」とは何を示しているのか?
そういう問いが国語の授業であったことはありませんか? 韻文などは端的に象徴や対象類似の共鳴を用いている場合があります。
国語の教科書にみられる心情説明のテーマは「心情の変化の読み取り」だけでなく「場面から心情を読み取る」という項目もあり、入試はそれに即して問うているのです。

外の人 について

中学受験・関西・エデュ・そして某掲示板(w 全ての所でマッチしない「外の人」です。 数年後には中学受験だけは真っ只中にはなると思います。 下の子が動き回る前にと勢いで作りました。
カテゴリー: しろくまさんの技術講座, 国語技術講座 タグ: , , , , , パーマリンク

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