「××」さま
前に「自転車」の比喩、というのをお話ししたことがあります。二つのお話があります。
自転車の「こぎ始めには力がいる」ので、体の小さい子は、最初は自転車をささえてやって、ちょっと後ろから押してやる必要がある… 最初の最初に塾にかかわるときに親がしてやってり、塾の先生が手伝ってくれたりするところですよね。
そしてもう一つ。自転車の「補助輪」を外すときの話…
最初は補助輪つきで自転車にのる。あれはけっこう楽だし、補助輪付きでもわりと不便はない。
でも、友達が補助輪無しでのっていると、うらやましくなって自分もやろう… でも、わりと怖かったりしてなかなかできない。離さんとってやっ! とか言いながら、親や友人が後ろから支えて練習する、という光景は、保護者の方も子どものときに経験されたことと思うのです。
ここで二手に子どもは分かれます。なんとか補助輪無しでやろうとする子と、やや逃避して補助輪にしがみついて乗り続ける、でも、それでいて心の中では外したいと思っている子と…
塾にはいく、塾は楽しくて仕方がないっ でも、宿題を雑にしたり、家での学習はちょっと疎か、あるいはすぐに親と衝突…
こういう子の心理と、補助輪外したいけど外さない、という子の心理、ちょっと似てます。
ほんとうは、ちゃんとお子さんも勉強したいのですよ。お母さんが、自転車をちょっと支えるように、しばらくケンカしながらでもよいではないですか。いっしょにヨコについて勉強してやってみてください。
こういう子は、算数など、途中の「工程」をすっとばして、すぐ答えを出したいのです。低学年の場合は、算数でも理科でも、複雑な工程を必要としないで答えが出ます。できるようになると気持ちがよい。ところが小5のあたりから、途中に複数の工程を必要とする問題が増えて、ある分野からできなくなっていくんです。
ここでお母さんが(家庭教師やら塾の先生が)ちょっとよりそって工程をみてやると、すんなりできたりするんです。小6になると技術的に難度が高いものが出てくるので素人には難しくなるのですが、小5のうちなら、ちょっと保護者と問答形式で進めるとすぐにわかります。
親が算数知らなくてもだいじょうぶ。これはどうするの? どうしてこういう解き方なの? と、わかんないから教えて、みたいに話を持っていくと男の子は、これはなぁ、こうやっこうやって… あれ、ちゃうわ、こうやこうや、というように、「ひとりボケツッコミ」を始めます。
この親がヨコにて「ひとりボケツッコミ」をし始めると見込みアリ。人との会話で人間は頭が整理されていくのです。
どうでしょう。やりなさいっ できてないじゃないのっ という迫り方も時には必要ですが、ちょっと教えて、説明して、みたいな寄り添い方もしてみてください。
何か追加質問があればどうぞ。