(質問記事番号 【2303631】投稿月 2011年10月)
「××」さま
添削をしてもらっていて、そのコメントが
「読みが雑」
「もっとじっくり丁寧に」
と、なって返ってくる場合… また、しろくまならどういうときにこういうコメントするかなぁ… と、考えてみました。
1つは「不足」に関してですよね。書いて欲しい部分が「足りない」… ここもおさえてほしいなぁ~ というときにそう書く気がします。
もっとじっくり丁寧に読む、ということを要求される「記述」…
物語文の場合、理由にせよ、心情説明にせよ、前から申している
A → B
↑
C
という、書き方にする場合が多いのです。
「最初はAだったが、CによってBになった」という鋳型ですよね。
C、つまり、気持ちを変化させた原因や、B、その前の状況などがしっかり書かれておらず、Bに至っている場合がそうなりますし、Bの結論になるためのCやAを違うところからもってきてしまったいる場合もそうなります。
Bは正しいのに、ACのチョイスを間違えているやんっ ちゃんと読みなさい、ということです。
説明文は、「例(具体)→意見(抽象)」という枠組みで構成されています。
抽象の理由は具体に求めて、具体の理由は抽象に求める、という書き方になっておらず、抽象の説明を他の抽象に求めて、その意見を構成する具体例をたどれていない、という場合がそういうことになります。
やはり、「文脈」をしっかりと追う読み方、を、していない可能性はあります。
以前に「指示語」の指示内容をおさえながら読む、ということをお薦めしましたが、ひょっとすると、最近はめんどくさくなって、テキトーに流しているかもしれませんね。改めて、指示語の指示内容を確認しながら読む、それの連続が実は「あらすじ」になっている、ということを再度強調してやってください。
物語文では、気持ちを変化させたモノ・コトをしっかり意識させる
説明文では、指示語の指示内容をしっかりふまえる
という読みの訓練、というか意識を高めてみてください。
何か追加質問があればどうぞ。