~受験前の保護者のみなさんへ~①
何度も今まで申し上げてきたことですが…
思うに、子育て、ということに失敗などないのです。わたしたちの子どもの育て方が悪かったのだ… と、親はついつい嘆いてしまうときもあります。
そんなことはありません。
親は育てる、しかし子どもは育つ…
長い目でみると、けっきょく親の言うとおりになった、というより、子どもの言うていたようになっている、というのが実際なんですよ。
子どもにはいろいろな矢印が働きます。子ども自身がある方向に進もうとする矢印、親が子どもに働きかけるような矢印、塾の先生が子どもに働きかける矢印、友達が子どもに働きかける矢印…
いま、子どもが動いているのは、それらの合力である方向に進んでいるんです。「だれか」のせいでも、「何か」のせいでもけっしてありません。
わたしが、親が… と、思い込む必要などはけっしてありません。
この時期、子どもにどう接してやっていいかわかりません… と、おっしゃる方も多いと思います。
この時期に限らず、子どもへの正しい接し方、など、実は存在しません。
作為なく、お母さん、お父さんのありのままの姿で接してやればよいんですよ。この一週間を、特別扱いする必要はありません。
子どもたちは塾ですでに「特別な空間」に存在しています。家はいつもと変わらぬ世界に保ってやってください。
ただ、特別、といえば、時間の管理くらいです。しかもそれすらふだん以上の圧力をかける必要はありません。
規則正しい生活をさせてやる…
根掘り葉掘り「聞く」というのも控えてやってください。今日はどうだった、ちゃんとやった、あと少しだからがんばろうねっ と、迫りすぎないようにしてやってください。
こちらから「聞く」ではなく、子どもの話を「聞いてやる」という時間をとってやってください。
ついついこちらからの矢印ばかりを出そうとしてしまいます。矢印をこちらから出すことばかりが子育てではありません。子どもの出す矢印を受け止める、ということも育てることに違いありません。
お勉強などしっかりみられている保護者の方もいるのにわたしは何もできません。
仕事が忙しくてお弁当すら作ってやることができません。
という方もおられるでしょう。何もできない、などということは何もマイナスではありません。
物事はすべて、プラスとマイナスのせめぎあいでバランスがとれてそこに存在しています。
いろいろ親が子どもに教えることのメリットはありますが、そうすることによって発生するマイナスも、そういうお母さんは背負っていて、また別のお悩みをもっておられるわけです。
何もできない、ということのデメリットももちろんありますが、かえってそれでうまくいっているというメリットも気が付かないだけでちゃんと働いているんですよ。
実際に勉強しているのは、子どもであって親ではありません。
実際に試験会場に入って問題を解いてくるのは、子どもであって親ではありません。
みなさん合格をめざしてお勉強しています。これはあたりまえ…
何か子どもに無理をさせているのではないか… 他の子どもたちはのびのびと遊んでいるのに、何かひどいことを子どもにしているのではないか…
これは半分は正しいと思います。中学入試、というのは、やはり子どもに一定以上の負担をかける、ということです。
でもね、そんなことを言うと、すべての「教育」というのはそういう側面を持ちますよね。
ピアノを習いにいっている。発表会がある。厳しいピアノの先生でこわい…
発表会まで間がない… 子どもにとってはストレスですし、好きなピアノも嫌になっているときもあります。
野球のチームに入っている… レギュラーになかなかなれない。どこか自分には才能が無いのはわかっているけれど、ポジションをめぐってあの子がライバル… 今度の試合で活躍できないともうだめだ…
習い事、塾でのお勉強、友達との関係… 快適でのびのびと楽しい、というのは、いろいろな山あり谷ありの中の一局面です。
甲子園をめざす子、全国大会をめざす子… かなり特別な訓練をしています。
お勉強をがんばる子が、とくべつ奇異な目でみられることはあってはならない、と、しろくまは思っています。
甲子園がすべて、全国大会で優勝するしかないんだっ という考え方は、その子どもの肉体も精神も、どこかゆがめることがあると思います。
同じように、中学入試がすべて、合格しかないんだっ という考え方もまた、子どもの肉体も精神も、どこかゆがめることがあると思います。
そういう「とらわれ」から離れることができていれば、何も特別おかしなことを子どもに強いていることにはなりません。
受験はすべてではなく、子どもの将来のお勉強の中の一局面で、合格すればまた次の計画を進め、不合格ならばまた別の計画を進めていく…
大きな子どもの将来のお膳立て、という枠組みの中での位置づけが大切になります。
で、何度もいうのは
合格が成功とはかぎらない、不合格が失敗とは限らない
という話です。
子どもの今までのあり方が、いろいろな形で結果として出てきます。
親はあとはそれを受け入れる、ということだけです。(次回に続く)